「日本語読めない奴が増えたよな」
という発言を、最近耳(目)にする機会が増えてきたように感じます。これに関してですが、ブログ生活20年以上、出版業界に出入りすること10年以上、直近では法律家として勉強を進めている自分が異を唱えたいです。
結論から言いますが、自分は特にここ最近日本語が読めない奴が急に増えてきたとは感じてません。
そうではなく
そもそも日本語が読めない奴なんて一定数、それもかなりの人間がいて、それがブログやらSNSやらで炙り出されてきただけ
だと考えてます。
そりゃもう今までけっこうな数見てきたので(苦笑)
ここでいう「日本語が読めない」というのはディスレクシアのような、数百人や数千人に1人(ぐらい?)といった特異な障害や能力の事を言っているのではなく、単純に文脈を読み取れない人間の事です。
例えばこの一文。
「私は今朝8時に起きました」
ここから何が読み取れるか。
まず1つ、起きたのは本日の朝8時であること。そしてこれは当人の事象であること。現在は朝8時以降であること。そして日付が変わる前(本日)であること。
これぐらいはパッと読み取れるだろうし、読み取ってほしいものです。
ところがどっこい、これを「読めない」人ってけっこういるんですよね。体感10人中2人とか、下手したら3人ぐらいいるかもしれません。マジでけっこういるから。
「いやいやww言われりゃ分かるからwww」って人もいるんだろうけどそれも結構ヤバイですよ。だってそれ「言われなきゃ分からない」っつってんだから。
「だからなんだよ!」って開き直る人もいるかもしれません。でもこれって人間社会で生きていく上では結構致命的なスキル不足だと自分では考えてます。
なぜならばこれは「相手の伝えたいことが伝わってない、理解できない」のと同時に「自分の伝えたいことが相手に伝わらない」からです。
要は「日本語が読めない」というスキル不足の意味するところは「コミュニケーション能力に障害を及ぼす」というところへ直結することになるからです。
友達作るのが苦手とか、どこの職場に行っても人間関係が上手くいかないって人は、ちょっと自分の日本語力をチェックしてみた方がいいかもしれないですよ。自分の体感でもあるんですけど、やっぱりそういう人ってちょっと日本語が読めてない、引いては空気が読めてないってところに行き付いちゃうんですよね。
もちろん日本語を正しく読む力なんてものは生まれつきの能力でも何でもないわけで、訓練すればどうにでもなることなのは間違いないです。
ただ結構な数の人、それこそ2~3割もの人(あくまで体感です)がそもそも「自分が日本語を正しく読めてない」って気づいてないのが問題なんですよね。そういう人に「日本語読めてないよね」って指摘したって、顔真っ赤にしてブチ切れるにきまってるので、なかなか難しいところです(苦笑)
そういう人にオススメしたいのは、やっぱり「文章を書くこと」です。特に「日記」なんかは最近増えてきてるみたいだしいいと思いますね。
自分は仕事や勉強で嫌でも文章書いてるのでわざわざやらないですけども、未来の自分に対して今の自分をアウトプットしてみる、それでちょっと時間が経った後その文章を読み返してみて「なんだこの文章!?」と思うことがあってもそれは恥ではないです、むしろ「自分の日本語は正しくないんだ」という大発見だと思います。自分も何回も通った道です。
よくコミュ障コミュ障言ってますけど、あんなもん先天性のもんでもなんでもないですからね。
「あれ?俺ってひょっとして……」と思うところがある人は、一度自分の日本語力をチェックしてみるのもいいかもしれません。